人気お笑いコンビ『かまいたち』濱家隆一さんの幼少期は相当な貧乏だったそうです。
お米すらも食べられずに過ごした子供時代はどんな生活だったんでしょうか?
今の濱家さんからは想像もつかない壮絶すぎる貧乏エピソードを生い立ちからご覧ください!
目次
【壮絶な生い立ち】かまいたち濱家の貧乏幼少期エピソードが不幸すぎる
濱家が貧乏になったきっかけ
濱家さんの父親はとんでもない人で、家には帰らずお金も入れず、さらには借金までしてしまう始末だったようです。
そんな父親と母親は濱家さんが小学校2年の時に離婚しています。
それからは濱家さんと母親、2つ上のお姉さんとの3人の貧乏暮らしが始まります。
築50年のボロアパートはフロも無かった
わずか6畳の2DKのいわゆる文化住宅と呼ばれるボロアパートで暮らしていた濱家さん一家。
お風呂も家の中ではなく外に出ないと入れないような環境だったようです。
さらに、ボロボロの天井には10cmぐらいの穴があいていて、たまにそこから痩せて毛がカチカチになった野良猫が顔をのぞかせていて驚かされたらしいです。
絵に描いたようなボロさだったんでしょうね。。
お米も買えずに主食は小麦粉
濱家さんの母親は昼夜を問わず働いていたものの、それでも生活は苦しくお米すらも買えない経済状況だったようです。
そこでお母さまが考えたのは粉メインのお食事でした。
濱家さんは当時を振り返ってこう語っています・・・
ごはんはぜんぜん食べられてたんですけど、後々聞くとみんなと同じような感じではなかったなって。すいとんを食べてたり。
引用:”kodomoe”濱家インタビューより
すいとんを食べて過ごされていたようですが、それが当たり前だと思っていたのが驚きです!
でも、「ごはんは食べられていた」というと、お母様は貧乏な中でも子供たちの為に工夫して頑張っておられたんですね!
習い事は見学のみ
中学から野球部に所属し、高校時代はキャプテンを務めていたほどの野球好きな濱家さん。
小学校時代に仲のいい友人が少年野球をやっていて濱家さんもやりたいと思っていたんですが・・・
小学校のときに仲いい友達が少年野球やってたんですよ。
「みんなやってるから僕も行きたい」って言って、「じゃあ見学だけ行っといで」って言われて、見学に行って申込用紙をもらって帰って。
で、なんとなくうやむやになって、また「行きたいねんけど」「ほんまに行きたいなら見学行っといで」って、
僕、見学に3回行ったんですよ!
引用:”kodomoe”濱家インタビューより
3回も見学に行ったとは健気ですね・・。
しかし、結局習わせてはもらえなかったようです。
貧乏な家庭で野球道具を買いそろえるのも相当きつかったんでしょうね。
お金を持っても貧乏性が抜けない濱家
小学校5年生の時に母が再婚したことをきっかけに、極貧生活から脱出することが出来た濱家さん。
長かったボロアパート生活から抜け出すことが出来ました!
しかし、それまで当たり前だった貧乏生活が抜けない悲しいエピソードが付いて回ります。
友人の誕生日会で常識を知る濱家
中学の時に友人の誕生日会に招かれた時のこと。
貧乏な思いしかしたことが無かった濱家さんはどんなものが誕生日プレゼントにふさわしいのかわからず、
ポッキーを持って行ったようです。
すると友達に
「え、小学生の誕生日パーティーみたいやな」
といわれて相当なショックを受けたんだそうです。
誕生日会に呼ばれた事を相当楽しみにしていた濱家さんはこの一件が相当なトラウマになったようです。
それをきっかけに「自分の子供には苦労させたくない」というのは絶対条件に掲げているようです。
競馬で30万使ってもユニクロの1200円のズボンで迷う濱家
芸人として売れてからは競馬で20~30万使ってみたり、ブランドの服や装飾品を買ったりしている濱家さん。
「ドカーンと金を遣うのは気持ちいいんですよ、金つこてるって気がして気持ちいい」
こう語る濱家さんなんですが、
『ちっちゃいものに「これホントにいるか?」ってなるからマイナスなんちゃうかなと思う』
といい、ユニクロの1,200円のズボンを買うことにためらったりするようです。
濱家さんは”お金持ちへのアンチテーゼ”だとおっしゃっていましたが、自分が金持ちになってもお金に対しての意識は変わらないのですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
壮絶な貧乏時代を過ごしていた濱家さんでしたね。
でも、今ではテレビで見ない日はほとんどないくらいに大人気芸人となっています。
無駄なものは安くても躊躇うという濱家さん。
お金を持っても過去の貧乏生活を今も忘れずにいられる濱家さんは本当に素晴らしいですね!
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