東京オリンピック・女子レスリング代表の土性沙羅選手。
力強いタックルが得意技でオリンピックでのメダル候補の土性さんですが、父親の存在が気になるところです。
実は、土性選手の父もレスリング経験者で国体で銅メダルを取るほどの実力者でした。
さらに、そんな父の存在なくしては土性さんのレスリング人生もありませんでした。
今回は土性選手の父親がスゴイ!という事で様々なエピソードを交えてご紹介していきますので、どうぞ最後までご覧ください。
目次
レスリング女子・土性沙羅の父親がスゴイ!国体で銅メダルの実力!
土性沙羅選手の父親の名前は土性則之(のりゆき)さんと言います。
父・則之さんは、高校時代までレスリングを志していたことから、娘の沙羅さんにもレスリングをさせたいと熱望されていたそうです。
そんな則之さんのプロフィールからご紹介していきます。
土性則之プロフィール
名前:土性則之(どしょう のりゆき)
出身地:三重県
出身校:三重県立松坂工業高校
略歴:土性沙羅の父親。高校時代のレスリング部の顧問は吉田沙保里の父・吉田栄勝氏。
レスリング部当時、国民体育大会(国体)に出場し、銅メダルを取るほどの実力者。
高校時代の顧問はあの吉田沙保里の父・吉田栄勝
土性沙羅選手の父・土性則之(のりゆき)さんの高校時代の師匠はあの吉田沙保里選手の父・吉田栄勝さんでした。
高校当時は国体で銅メダルを取得される程に鍛え上げたレスリング技術を持っていたんだそうです。
高校は、三重県立松坂工業高校というところに通われていました。
ここのレスリング部は盛んで、卒業生にはロサンゼルスオリンピックグレコローマン48kg級銅メダル保持者の斎藤育造選手などがいます。
ここで父・則之さんは偉大な師匠・吉田栄勝さんの元、レスリングを切磋琢磨されていました。
土性沙羅がレスリングを始めたきっかけは父の影響
則之さんは自身のレスリング経験から、
「いつか娘にもやらせたい」
と、娘の沙羅選手にもレスリングをさせてあげたいと思っていたようです。
当時小学2年生だった土性沙羅さんはというと、漫画を読んだり、絵を描くのが趣味で、
外で遊ぶわんぱくさもなく、休み時間も図書館で本を読むようなおとなしい女の子だったそうです。
そんな沙羅さんでしたが、父の意向通り、吉田栄勝氏が教える『一志ジュニアレスリング教室』に通うことになりました。
【スパルタ指導】父の熱意を受け止める土性沙羅
父の熱意に応えるために、土性選手は小学校の放課後、夕方6時から夜の10時までレスリングに打ち込みました。
送り迎えも父・則之さんと母親が毎日行っていました。
しかし、共にレスリングを始めていた弟がわずか4ヶ月で全国制覇を成し遂げた傍ら、
土性沙羅は怒られ続け、自信を喪失しかけていたと言います。
『やめたい』
と打ち明けた土性選手に対し、発破をかけるように則之さんは
「それなら先生に直接言いなさい」
と返したそうです。
栄勝氏にそれを伝えることが出来なかった沙羅選手は、そんな則之さんのスパルタ教育の結果、今の意志の強い土性選手になったと言えるんではないでしょうか。
父の想いを受け止め、メキメキと結果を出す土性沙羅
スパルタ教育に徹した則之さんの想いは土性沙羅さんにとって負担になったのでは?
と心配になりますよね?
しかし、そんな心配は無用で、土性さんはメキメキと成長し結果を出していきました。
土性沙羅選手は栄勝氏の指導の下、小学4年~6年までの3年間で「全国少年少女選手権」にて3連覇を達成し、同年代では無敵の強さを誇っていました。
さらに、その強さは中学に進学しても止まることはなく、「全国中学生選手権」でも2連覇を達成しています。
則之さんにとって、娘が自分と同じレスリングの道に進み、自分以上の結果を出してくれたことは、相当な喜びになったことでしょうね。
まとめ〜父なしではレスリング土性沙羅はいなかった〜
いかがでしたでしょうか?
土性沙羅選手の父・則之さんはレスリングに対する気持ちと、沙羅選手に対しての想いはとても強い方でしたね。
沙羅選手はレスリングの名門である、至学館高校、至学館大学と進学し、そのうちに様々な大会で好成績を収めるほどにまで成長しました。
前回のリオデジャネイロオリンピックでは69kg級で金メダルも獲得されています。
土性さんにとって、則之さんなくしてはこのような人生を送ってこなかったといっても過言ではないですね!
東京オリンピックでも素晴らしい成績を収めて、家族でありレスリングの恩師でもあるスゴイ父・則之さんにプレゼントしてくれたら素敵だなと思います^^
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